私が「くじら百話」を書く目的の一つに、下関のくじらに関わった多くの先人の足跡を改めて世間に紹介する仕事があります。特に下関くじら食文化を守る会は30年以上の歴史があり、歴代会長や構成メンバーの活動や文献が多数あります。今回紹介する中原郁生さんは我が会の黎明期に活動された方です。
兄上の中原雅夫さんも文化人で「ふく百話」や「くじら百話」も執筆されています。中原初代会長が逝去された2001年、二代目和仁会長の下で会則が定められ、正式に下関くじら食文化を守る会が活動を開始しました。
時、あたかも国際捕鯨委員会(IWC)総会が2002年に下関で開催されるという時期でした。
以下は中原郁生さんの葬儀で親交のあった直木賞作家古川薫先生の弔辞です。
会報「いさな 第3号」に古川先生が投稿されたものです。

シベリアからの寒波が、関門海峡を凍らせる2001年1月17日の夕刻、ふるさとの土を覆う純白の雪を踏んで、あなたは一人旅立った。いかにもあなたらしい律義さで、21世紀が明けるのをしっかり見届け、穏やかなあの微笑みを残してあなたは旅立った。

中原郁生さん、もう言うことはなかったですか。もうすることはなかったですか。もう書くことはなかったですか。

あなたと私との最初の出会いは、あなたが下関市立長府図書館長のとき、新人物往来社刊「高杉晋作のすべて」の共同執筆だった。私たちにとって本は白き紙の標である。あなたは白く美しい紙の墓標として、3冊の共著、2冊の著書を地上に残して行った。図書館長を定年退職後の、あなたの活躍は素晴らしかった。温和な人柄のなかに激しい情熱を秘めた行動の人だった。中原郁生の名が見えない下関市内の文化事業はなかったといってよい。

特に下関くじら食文化を守る会の会長だったあなたにとって、なにより心のこりは、下関での開催が決まった国際捕鯨委員会(IWC)総会のことではなかったか。「人間の仕事とは、そんなものだよ」と、あなたは言うにちがいない。
もう言うことは言った。もうすることはした。もう書くことは書いた。見るべきものは見た。あなたがそう言ってくれれば、私たちは最大の敬意と安心をもって、あなたを送ろう。詩人であり歴史家であった、あなたの兄上、中原雅夫さんは、戦後下関の文化的土壌を耕した有能な指導者であり功労者だが、中原郁生さんはそれを受け継いで、八面六臂の大活躍をした。中原兄弟がふるさと下関に遺した功績を私たちは決して忘れない。好漢、安らかに眠り給え、合掌。

2001年1月19日 古川薫