これは明治40年、関門海峡を鯨が通った時の実話です。
彦島に一人の漁師がいましたが、その5つになる男の子は生まれつき体が弱くいつも病気がちでした。ある夜のこと、漁師が昼の疲れでぐっすり寝込んでいると、何かの気配で目が覚めました。部屋の中に真っ黒な大きなものが立ちふさがっており、うすら明かりに目をこらして見るとそれは鯨でした。
漁師は驚いて「な、なにしに来た」とさけぶと、鯨は「わたしたち夫婦鯨は明日の昼頃、子鯨をつれてこの海峡を通ります。しかし、子鯨は病気ですからどうか見逃して下さい。」といったかと思うと姿を消しました。夜が明けると漁師はこの話を仲間に告げ、その鯨を捕ろうと言いました。しかし、皆はそんな夢のような話がと相手にしませんでしたが、昔から鯨1頭とると7浦が栄えるといわれているのと、その漁師の話が真に迫っていたので次第に本気になり、いよいよ鯨を捕ることとなりました。
すっかり準備も整い待っていると、やがて西から大瀬戸に入ってくる鯨が見えました。しかもあの漁師の話のように親子3頭でした。鯨を取り囲んだ船から次々にモリが撃ち込まれましたがなかなか命中しません。そのうちどうしたはずみか、1本のモリが子鯨に命中したのです。子鯨はかなしいさけび声をあげて海の中をのたうちまわりました。父親の鯨はそれを聞き、狂い狂って暴れ回ったので小舟は次々にひっくり返されました。漁師たちは命からがらに逃げ帰りましたが、例の漁師が自分の家に帰ってみると、可愛がっていた男の子が死んでいました。ちょうど子鯨にモリが命中したころ、高熱のためもがき死んだのでした。
これに類する話は鯨のとれた各浦に残っています。昔、捕鯨の対象とされたのはセミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラ、コククジラの種類です。いずれも繁殖のため南の海に向かう下り鯨で漁期は旧暦10月から翌3月でした。山口県北浦地域や長崎県でも話の内容は彦島昔話に似ていますが夫婦鯨、親子鯨等があります。また単なる回遊ではなく、通は青海島大日比の寺参り、川尻は伊勢参り、角島は京まいり、長崎県などでは春になると親鯨が子供を連れて伊勢参りに出かけるから、そのころの鯨を捕獲してはいけないという言い伝えもあります。各地に伝わる鯨の伝説は二つに分類されます。1つは「夫婦鯨の神参り」もう一つは「はらみ鯨の願い」です。この「はらみ鯨」の伝説は北浦地方にはありませんが紀州白浦や四国の室戸あたりに伝わっています。
親子鯨、夫婦鯨、はらみ鯨の願いを込めた伝説が各地に生まれ育ったのは、生きるため、富を得るため、藩の課税を収めるために命懸けで捕鯨業に従事した人たちの鯨にたいする思いやり、供養と感謝の念によるものです。