下関くじら食文化を守る会は平成13年(2001)4月に正式発足しました。会の歴史はそれより前からあって私が下関市議会議員に就任した平成11年3月には会から推薦を受けたこと、下関唐戸魚市場(株)在職時から会の活動に参加したことなど考えると平成7年ごろには会は存在していました。当時の名称は「西日本くじら研究会」でした。初代会長は中原郁夫(元下関図書館長)です。会員の構成は市民ではなく学者の集まり、事務局はくじら問屋の丸幸商事、会場は彦島八幡宮でした。瑞宝殿という結婚披露宴をする会場で料理部門を受け持っていた「伊佐」さんという女傑のもとに皆さん集まってくじらを取り巻く議論をしました。「いさ」というのは勇魚(くじら)の略称で縁を感じました。
印象に残っているのは大学教授の学者夫婦で会のメンバーなのに夫は捕鯨賛成派、妻は反対派や南極海へ鯨船団長でいかれた人物もおられました。

お世話になったのは「奈須敬二先生」です。先生は東京大学卒業、長年水産庁に勤務した海洋学者、鯨研究者で世界的な権威者でした。講演の中で南極海の平面図を詳細に黒板に大きく書き話されるユニークな学者でした。私が知り合ったのはすでに退職され故郷の宮崎県に帰郷されていました。

知り合いになった奈須先生に厚かましくも下関市における私が考える「ふく水族館」について手紙を書き、ご意見をいただき励まされたこと等ありました。

初代会長の中原郁夫氏が逝去されたのが平成12年頃でした。次の会長を誰にするか会の中で議論がありました。大方の意見は水産関係であるし水産大学校があるので水大の校長経験者が良いという意見でした。私は今後の会は市民に開かれた会となるべきなので研究者の集まりではなく大学教授で街での様々な活動に参加している東亜大学大学院の和仁教授を推薦しました。
和仁先生は晩年は市内で知らない人が少ないくらい、食文化や芸術文化、東亜大学の広告塔として活躍されましたが当時はまだまだ市内では無名でした。紆余曲折ありましたが和仁会長に決まりました。先生は雪印の研究所責任者を経験された方で日本でのその分野では有名でした。

会長就任後の先生の活躍は目覚ましいものがありました。機関紙「いさな」は全国のくじら関係者をうならせる内容の冊子で21回継続されました。くじら料理教室も開催され市民に広く啓発活動をしました。毎年のIWC国際捕鯨委員会へも日本代表団として出席されました。私も市長として何度が先生と外国の地を踏みました。文筆分野では乳研究専門書に加え「気分はお寿司」「アンコウはアヒージョ」、芸術分野では自らチェロを弾きました。酒をこよなく愛する人で日本酒、ワインそれぞれにうんちくがありました。